年上お姉さんは年下好き。




 掴原勇人(かくはらゆうと)は小桜菫に好感を抱いていた。しかしそれは恋愛感情と言うものとは違った。

 菫は仕事ができるしっかりとした大人で、かつ優しい人柄なのだ。つまり頼りになるお姉さん的な意味で好きだったということである。

 勇人が恋愛感情を抱かなかった理由はもう一つあるのだが……。

「店長、修栄社書籍の棚のチェックと整理終わりました」

 掴原勇人は台車を引きながら、いつもの勤務報告をする。

 ここはM市内の五越(いつこし)デパートの中に設けられた亀鶴書店(かめつるしょてん)の店舗。亀鶴書店南M市五越支店。

 亀鶴書店はM市を本拠地に周辺の町や市に数店舗を構える書店のチェーンだ。菫と勇人の仕事先でもある。

 デパートの2階ワンフロアに設けられた、比較的大きめの店舗だ。2階は亀鶴書店と婦人服の店が分けて使っている。

「おお。ありがとう勇人。なんかやられてたのあった?」

「ないっぽいです。今日のところは」

「そっか、そっか」

 そう言ってこのお店、亀鶴書店の店長こと安藤(あんどう)は満足そうにうなずいた。

 安藤が気にしていたのは、万引きだ。

 書店員と言う仕事は万引きと戦う戦士なのだと言っても過言ではないほど、書店は日夜、窃盗犯罪の脅威にさらされ、万引きを防ぐために彼らは防犯活動という涙ぐましい努力を繰り返していた。なんせ本を一冊万引きされた時には、同じ本を五冊は売らないと元が取れない。しかも書籍という商品は万引きの対象になりやすい、この亀鶴書店くらいの規模の店舗では、ほぼ毎日という頻度で万引きが発生していた。

「オーケー、オーケー、棚終わったら休憩入ってくれ、いつも通り30分な」

「ういっす。休憩ですね、わかってます」

「おおっ。ところで今日は何読むん?」

 この亀鶴書店では休憩時間に売り物の本を読むことが許されている。何も読まない店員もいるが、勇人は読書家で、いつも休憩時間には何かしらの本を読んでいた。

「今日はライトノベルにしてみようかと」

 そう言ってMF文庫Jのライトノベル、ゼ○の使い魔をすっと掲げてみせる。アニメ化もされた人気小説だ。

「おおっ! この前は長○護のFSSで、その前が岩○均のヒス○リエだったよな?」

 この二つは凝った造りをした大人向けの漫画だ。

「ええ。まあ」

「てっきり渋いのが好みだと思ってたんだが、軽いのもいける口なのな」

「はは……たまにはいいですよ。軽いのも」

「そっか、そっか。まあ頑張れ! 作家志望!」

 作家志望と言われて、勇人はどことなく苦虫を噛み潰したような微妙な笑みを浮かべる。

 勇人は確かに作家志望だった。しかし彼には何の当てもないし、特別小説が巧いわけではない。作品を友人に酷評されてからは自信も喪失していた。自己流で勉強はしてはいるが、そもそもなんの作家にどうなればいいのかわからない体たらくだ。

 小説、漫画、脚本と色々と浮気してみるも、どれも満足な出来の物は作れなかった。

 彼は創作が大好きではあったのだが。

 そう、つまり彼はどこにでもいる。所謂。迷える若者だった。

「そんじゃあ……掴原、休憩はいります」

「はいよー。いってらっしゃい」

 ライトノベルを手に、安藤に背を向けて休憩室を目指す。

 休憩室は売り場とは別煉にあり、店舗の裏側の目立たない位置にある建物だ。売り場の隅にある搬入口兼用のゲートをくぐれば、すぐの所にある。

 勇人は休憩時間には軽く軽食を入れて飲み物を飲む。それがいつもの日課だ。18歳の肉体は何かと腹が空くのである。

 食事はすでに休憩室に用意してあって、今日はデパ地下のちょっと豪華なおにぎりだ。後は飲み物を買うだけで休憩の準備は済む。

 おにぎりに合う飲み物と言えばやはりお茶だろうか?
そう思案しながら自動販売機を目指して歩いていると、ふと視線を感じた。小さく名前も呼ばれたような気もする。

 あたりをゆっくり見回すと……いた! 本棚の影から、小動物の様なクリクリとよく動く、大きめの瞳がこちらを見ていた。菫だ。

 目が合うと菫はピタッと動きを止めた。そしてニュッと白い手が棚から生えてくると、はためくように動き出した。

「勇人君……こっちこっち」

 菫が手招きして勇人を呼んでいた。今日はなんだろう? そう思いながら菫に駆け寄る。

「なんですか?」

 勇人は簡潔にそう尋ねた。

 菫がじっとこちらを見つめ返してくる。黒目がちな大きな瞳。正直言って、ちょっとそこらにはいないような整った顔立ち。ふっくらとした胸元。バストが意外に大きいことに気が付いたのは最近だ。
悩ましげな大き目の骨盤に支えられた、キュッと上がったヒップ。今現在はエプロンに隠れているが、私服姿を見たときのウエストのくびれた腰まわりは、まるで蜂の様だった。
一つ一つのパーツが一級品。率直に言って菫は凄まじいほどの美人だった。

 勇人は菫をじっと見つめる。

 菫は少し恥ずかしそうにモジモジしながら、悩ましげなヒップに隠されていた、もう一方の手をすっと勇人の前に差し出した。

「今日も頑張ってるから……ご褒美だよ」

 その手の上には奇麗なラッピングを施された小さなカスタードケーキとキャンディーが乗っていた。デパート内の有名菓子店のものだと思う。カスタードケーキは並ばないと買えない人気商品だ。

「ありがとうございます」
 
 にっこり笑ってそれを受け取る勇人。

 菫というこの女性は、同僚の男性達からはおどおどと話すので、何を考えているかわからないと評判だ。

 ちょっと男性が苦手な勇人の上司。しかし勇人から見た菫と言う人物は、やさしいけどちょっと不思議なお姉さんと言う認識だった。

 菫はきっと嬉しいのだろう、満足そうにコクコク何度もうなずくと何も言わずにその場を去って行った。甘い残り香を置いて。

(香水? なんかすげえいい匂いなんですけど)

 ふんわりとミルク菓子の様な甘い香りが鼻孔をくすぐる。

 化粧も変えたのだろうか? 肌が剥きたてのゆで卵みたいに、白くて艶ががあって綺麗だった。それにいつもは清楚に見えるのに、今日は少しエッチに見えた。

 しばらくぼうっとして、――そしてはっと気が付く。――見惚れていた。

 ぶんぶんと首を振って、気を取り直して自動販売機に向かう。まだ少し、あの甘い香りが鼻に残っている様だった。

 ふと走り去った不思議お姉さんを眼で追った。よく見ると店長につかまっていた。会話は聞き取れないが店長が嬉しそうに菫に話しかけている。

 話の内容はきっと彼女が仕掛けた企画についてだろう。たぶん間違えないと思う。ちょうど二人は企画のコーナーの前にいる。

 あれは成功だったな。勇人ははっきりとそう思っている。菫が仕掛けた本はよく売れたし。反響も良かった。

(褒められて嬉しければ、嬉しそうにすればいいのにな)

 店長に話しかけられている菫の表情をみて勇人はそう思った。

 菫は……なんとも形容し難い微妙な表情をしていた。沈んでいるわけではない、やっぱり嬉しいのだろう。だがその顔は少しも楽しそうには見えなかった。

 付き合いの長い店長は気にした様子がない。もっとも菫が男性と接している時の微妙な表情を気にする人間は、そもそも彼女に話しかけたりはしない。

 勇人が菫に恋愛感情を持たなかった理由。それは彼女が男性のことがひどく苦手でまさか自分に好意を抱いてるだなんて、とてもとても想像できなかったからだ。





 休憩後は搬入作業だ。書店の仕事のなかで一番きつい仕事がこの作業である。

 搬入口から売り場まではエレベーターを挟んで結構な距離がある。特に搬入される倉庫から、デパートの建物の中まで運ぶ間は手作業で。その数十メートルの距離が辛い。

 書籍や雑誌は100冊単位で店にやってくる。それらは全て梱包された状態で一塊の束は5sから15sほどの重さがあり、書籍に至っては20s近い重さでやってくることさえあった。その束が多い日には100個近く店に運ばれてくるのだ。

 休憩を終えた勇人は搬入倉庫へと向かった。倉庫は休憩室からほど近い場所にある。と言うか隣りだ。

 身だしなみもそこそこに倉庫の扉をくぐる。そして目に飛び込んできた光景を見て勇人は疑問を感じた。

「あれっ? 店長はどうしたんですか?」

 その疑問を口に出す。

 入って早々。搬入倉庫でえいやっ! と気合を入れていた菫を見て浮かんだ疑問だ。

 力仕事である搬入作業は主に男性が担当する。もちろん女性が搬入作業をしないというわけではないが、男手があるときは男性がやるというのが亀鶴書店の搬入作業の基本だ。

「店長の腰は昨日の搬入でお亡くなりになりました」

 菫は手を合わせてそう言った。

「亡くなったのか」

 苦笑してそう答える。多分ぎっくり腰だろう。もう若いとは言えない安藤は疲れがたまるとたびたび腰を痛める。
まあ。今日の搬入は梱包された束で60個ほど、安藤がいなくても何とかなるだろう。

「よ〜し。がんばるぞ!」

 菫が気合を入れる。

「ういっす。がんばりましょう」

 勇人がそう答える。続いて菫が腕まくりをしながら、一番重そうな書籍の束を運んで行こうとする。

 勇人は何も言わずに、そっと菫からその束を奪った。

「あっ! 私運ぶからいいよぉ」

「ケーキのお礼ですよ」

 そう言って勇人は20s近くありそうな大きな書籍の束を軽々と抱えて、足取り軽く倉庫を歩き去った。


§§§


(すごい! あんなに重い束……軽々と持ってっちゃった)

 勇人は背は高いがそれほど大男というわけではないのに、鍛えているのだろうか? そんな疑問が菫の頭をよぎった。

 菫は勇人の肩から前腕にかけてを凝視する。肩はシャツに隠れて見えないが、前腕部の筋肉は盛り上がり、書籍の束を抱えた手につながっている。意外にしっかりした腕だ。

 自分の身体くらいなら、軽々と抑え込んでしまうんじゃなかろうか? ベッドに抑え込まれた自分を想像して身体の芯がじわっと熱くなった。

 わずかに汗の匂いを含んだ、若い男の体臭が菫の鼻孔を刺激する。

(若い……男の子の……香りだ)

 胸がドキドキして、それに連動して子宮がキュンキュンと疼きだす。



 膣が濡れて異臭を放ちださないかと不安に駆られるが、菫の蜜壺もかろうじてそこまでは堕落していないようだった。

 子宮がじんじんじんと甘痛く疼いて、頭の中でピンクの靄がふわっふわっと浮かぶ。胸のドキドキが加速して乳腺を含む乳房までキュンキュンと疼きだした。

 若い勇人は行為の時、もしかして獣のように自分を犯すだろうか? それでも全然かまわない、むしろそうしてほしい。

 そんなことを夢想しながら、勇人が運んでいるものよりだいぶ軽い雑誌の束を抱えて、彼の後をついていく。
やがて搬入口が見えて、台車を押した安藤が建物の中から現れ、手を振ってこちらにやってくる。

「悪いね。もうじじいだから許してよ」

「何言ってるんですか? 店長はまだまだ若いですよ。定年まで当分頑張らないと」

「うむぅ……定年か。まあ最近は定年延長の時代。じじいも立派な労働力だからな」

「腰が治ったらお願いしますよ」

「うう……勇人は容赦ないの……菫よ……あとは任せた」

「…………」

 安藤の軽口に笑顔で答える勇人。菫は火照った顔を悟られないように黙ってうつむいていた。

 二人で楽しそうに冗談を言い合っている傍らで菫は考え込んでいた。

(そうだ……年……10以上……違うんだ)

 未来ある十代の若者にとって、菫の様な三十路の女など、少しも魅力を感じないのではないか?

 そうだ! 嫌違う! 恋に年齢なんか関係ないのでは? そんな思いが交錯し気持ちが落ち着かない。

 勇人の顔を見る。無邪気に笑っていた。この子ならきっと気持ちを受け止めてくれなくたって。自分を悪いようにはしないような気がする。

(せめて……処女だけだって……)

 菫が不安そうな顔で覗き込んでいるものだから怪訝に思ったのか勇人がこちらを見つめ返す。

「菫さん? ……どうかしましたか?」

「えっ! うっ……ううん。なんでもないよ」

 気持ちを打ち明けたい。でも怖い……こんな年になって恋する乙女になってしまった。それも相手は10以上も年下の男の子だ。

 淡い恋心。鈍い不安。熟れた身体に埋め込まれた欲深い熟女の肉壺が甘く疼く。

 春の暖かい風が吹き、柔らかな日差しが肌に染みる。恋の季節がやってきていた。


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