恋呪い。秘めたる想いを絵馬に乗せて




「恋愛そのものに、良いも悪いもないわ。だって自然現象だもの」

 菫の話を黙って聞いていた天想寺玲愛はそう言った。

 そしてまた良い香りのするお茶を菫の前にすっと差し出す。

「自然現象……ですか?」

 菫は簡潔にお茶の礼を述べると、上目づかいにカウンター越しの玲愛を見つめた。

 菫は再び、《魔女の隠れ家》に訪れていた。目的は……ただここに来れば何とかなりそうな。そんな予感がしただけだが。

(占い師って恋の相談とか得意そうに見えるし……でも玲愛さんはどうなんだろう?)

「さっきも言った通り、恋愛に良いも悪いもない。人が勝手に年の差だとか、性別がどうとか、親族だからとか。そんなことを基準に恋愛に禁忌を設けてるだけで。その基準だって時代と共に移り変わってきたわ。今だって所変われば価値観も全然違うわ」

「そう……古代ギリシャのオリュンポスの神々において最も偉大とされる。主神にして天神のゼウスにだって。同性愛の逸話があったりしたのよ。古代ギリシャには同性愛を容認した世界があったということね」

「性、道徳、法律、善悪感、そして禁忌。時代と共に常にその時の指導者達に都合よく解釈されてきたわ。そしてそんな時代が生んだ幻影に流されるのはとっても愚かなことよ」

「汝欲するところを成せ。太古の時代からずっと生きてきた霊はそう言ったそうよ」

「そう……なんでしょうけど」

「いいじゃないの……三十路の女に十代の彼氏がいたって」

「で……でも」

「きっと素敵よ。あなた達。話を聞く分には両方とも、とってもまじめで。可愛いわ。いい感じ」

 そう言って玲愛はクスクスと笑う。

 他人事だと思って楽しんでるなと思い、菫は玲愛をじろりと睨んだ。

「あらあら怖い顔」

「仕方ないわねとっておきの占いをしてあげるからそれで勘弁して」

「とっておきの占いですか?」

「そうよ」

 それはとても興味がある。

 あの媚薬で玲愛の実力はよくわかっていた。率直に言うと一種の畏れに近いような畏怖の気持ちさえ持っているのだ。

 だが、この魔女は自分の味方の様な気がする。少なくとも敵意など一切感じない。話も真摯(しんし)に聞いてくれる。そうでなかったら、怖くて話などできなかっただろうが。

 玲愛はゆっくりと目をつむり、何かに耳を澄ます様に右手を耳に当てる。

 まるで見えない何かのしゃべっている声を訊いている様だ。

「まず……貴女の恋を妨害する障害……それは貴女の心の中にあるわ」

 ゆっくりと確信をもった声で魔女はそう告げた。

 ドキリとした。心当たりがある。いきなりそう来るか。そんな想いが脳裏をよぎった。

「貴女の子供の頃の思い出……と言うよりトラウマね……ラブレター。奇麗にラッピングしたのに。読んでもくれなったのね」

 心臓がバクンと跳ね上がる。

「えっ! えっ! うそっ! やっ! やっ! やめてください!!」

 菫は思わず大声を上げてしまった。

「あらっ……びっくりしちゃった? どうするの? 続ける? それとも自分で話す?」

 確信に満ちた笑みを浮かべて玲愛が菫を見つめる。

「どっ! どうやって知ったんですか?」

 思わず声が震える。本当に心の中まで見ていたのか? どうやって? あてずっぽう……ではないだろう。調べた? いや。あのことを知っているのは本当に少数の人間だけだ。

「どうってダイモーンに聞いたのよ」

「ダッダイモーンってなんですか?」

「守護精霊だとか守護天使だとか言われるものよ。一般的に囁かれているものや中世から近世の魔術師が熱心に呼び出そうとしたものなんかは迷信だけどね。まあそれに近いものが存在しないわけじゃないけど」

 守護精霊? 守護天使? 何となく想像はできる。それが自分の心の中や過去の出来事を見たとでも言うのか?

「つっつまり……どう言うことなんです?」

「要はひらめきよ。ひ、ら、め、き」

「神様とか天使だとか悪魔だとかはね。時々ひらめきって形で人間にインスピレーションを与えるのよ」

「それをどう扱うか、どこまで扱えるかはその人間しだいだけどね」

 ひらめくのか。そんな正確に過去のことを? でも神秘とは本来こう言ったものなのかもしれない。いかに不思議なマジックを見せられてもこんな気分にはならないだろう。

「脱魂霊媒と呼ばれる古い魔術の一つよ。要は自分の回路を高位の霊的存在とつなげるのよ」

「その高位の霊的存在がひらめきと言う形で知識を授けてくれるのよ」

「まあ……宗教の登場で滅んでしまった太古のシャーマンの知恵ね」

「すっすごい……です」

 率直にそう思った。やはりこの占い師は只者ではない。

「私。本物の魔女だって……言わなかったかしら?」

「そんな気はしてました。でも玲愛さんはそんなこと言ってないですよ」

「あら。そうだったかしら。言うの忘れてたわ」

 そう言ってまた。玲愛はクスクスと笑いだした。やっぱり菫もつられて笑う。

 そうなのだ。この魔女はなんだか親しみがわくのだ。確かに不思議だが、確かに魔法だが、この女性自体は母性ある面倒見の良い女の人なのだ。それはわかる。

「私……すごい好きだった男の子にラブレターを書いたんです。小さい時に」

 菫はポツリ、ポツリとしゃべりはじめた。

「ええ……そうみたいね。続けて」

「文章も何日も考えて書いて、ラッピングだってすっごく可愛くしたんです」

「でもその子は手紙を読みもしないでビリビリに破いたんです」

「そして気持ち悪いって……一緒にいた友達と笑いあいながら。私の手紙、気持ち悪いって」

「物陰からそれを見てたんです。私。見なければ良かったって、手紙なんて書かなければ良かったって。そう思いました」

 そして菫は一瞬だけとてもつらそうな表情を浮かべた。

「それから……怖いんです。男の子の事があれからずっと……怖いんです」

「そう……嫌いにはならなかったの?」

 そう言えば……なんで嫌いにならなかったのだろう?

「なんで……だろ? 嫌いとは違います」

「お父さんのことは好きだったから……男性そのものが嫌いなわけじゃないんでしょ?」

「そういえば……そうです。お父さんは好きです」

 そう。父は優しくて良い父親だった。好きだし、尊敬もしている。

 気さくな人物で菫の誕生日にはよくご馳走を作ってくれた。それがあんまり上手じゃなくて。

 はにかんだ笑顔で笑うその姿が脳裏に浮かんだ。

「でも……なんだろう……」

「うん。いってみてごらんなさい」

「男の子が怖いってだけじゃなくて、なんだか恋愛そのものが悪いことの様な……そんな気もしていました」

 その言葉をじっくり聞いて、玲愛はうなずいた。

「貴女は愛し愛されて良いのよ。良い人間なの」

 うんうんと頷く……菫は噛み締めるようにその言葉を頭に理解させた。そうなのだ自分が恋に縮こまる必要はどこにもなかった。

 心無い行いに傷ついたとしても。それで自分を縛ることは愚かなことだ。そうつぶやく。

「そう……そこに気が付ければ第一歩よ。でも……まだ問題があるのよ」

「問題……ですか?」

「貴女は運命的に男と結びつき難いの。つまり……恋愛運最低ってことね」

「え! えええ〜〜! そうなんですか?」

 自覚はあったが面と向かってはっきりそう言われると思わず泣きそうになる。恋愛運最低。たしかに今までの人生はそれをしっかりと示しているのだが。

 どうしよう? そうだこの魔女にどうにかしてもらおう。菫はそう考えた。

「どうすればいいんですかぁ?」

 菫は救いを求めて魔女に乞うように尋ねた。

「うん……そうね。お呪いをしましょう」

「お呪い……ですか?」

「恋のお呪いよ……ねえ菫さん。恋のお呪いっていったらどんなものを想像する?」

「えっと……恋愛運が上がる物をもったり? あとジンクスみたいなものですか?」

「ふふふっ最近ではそんなものが流行ってるみたいね……コレ覚えてるかしら」

 そう言って小さな小瓶を菫の前に置いた。

「あっ! コレ……あう」

 忘れようはずがない、菫の肉体を犯しきった媚毒……恋なすの霊薬だ。

「そう媚薬よね。でもね……このお薬は失敗作なのよ」

「失敗作なんですか?」

 驚いた。この薬は正真正銘の媚薬だと思う。これが失敗作とはどういうことなんだろう?

「そう……この薬自体はある秘薬を作ろうとして、研究に研究を重ね。そしてその秘薬には届かなかった薬なのよ」

「あっ! そういえば。この前も媚薬たちを現代科学に寄りかかった、なんかの秘薬の失敗作だって」

「よく覚えていたわね。そう”愛の秘薬”の失敗作と言ったのよ」

「愛の秘薬……ですか?」

「そう……つまり惚れ薬。惚れ薬に限らず精神を薬物で操作しようという試みは概ね失敗しているわ」

「できることと言えばせいぜい脳の機能を一部を抑制したり。麻痺させたり、逆に刺激したりするくらいね」

「精神医療においては効果の高い優れた薬剤が多くあるけどね」

「人間を操ったり精神を完全に操作したりするような薬物は現代には存在しないわ」

「でもその多くも気分を変えたり病状を抑えたりする薬ね。性格や人格を変える薬はない」

「崩壊させる麻薬はあるけど」

「まあつまり。怠け者を働き者に、臆病者を戦士に変えたりする薬は実際はないわ。著しく完成度が低いものを除けばだけどね」

「そうですよね……そんなの聞いたことないです」

「精神は人間の身体の反応なんだけど。(しん)そのものは霊と運命とならぶ造物主が定めたこの世の神秘なのよ」

「この世の……神秘? ですか?」

「そう……まあ簡単に言っちゃうとよくわからなくて、予測のつかない物ね」

「焼いた動物の骨や鼈甲の割れた形。煙が舞い上がってできる紋様なんか。よく神秘知るのに使われたのよ。予測のつかない物に神は宿っているってね」

「心もその一つよ。どんなに統計を取っても、心理学的に分析しても、完全にはわからないの」

「故に神秘。そして神秘は人の手に余るわ。本物の魔術師以外の人間にはね」

 そして玲愛はコホンと咳払いをした。

「話を媚薬に戻すわね。実は17〜18世紀ごろになると媚薬は廃れてしまうのよ」

「都合よく相手が自分に惚れてくれる薬は結局作れなかったし。媚薬の多くが有毒だったり味がひどかったりで飲ませるのにも一苦労だったしね」

「そして恋を燃え上がらせる魔術は次第に魅了の呪縛へと移行していくわ」

「魅了の……呪縛……ですか?」

「呪縛の魔術は世界中にあって、基本的に呪文やルーン(魔力ある書き文字)を用いて神仏の様な超自然的なものに祈るのが基本よ。日本でもあるでしょ?」

「はっ……はい。神社とかにお参りするやつとかですよね」

藁人形(わらにんぎょう)とかも? ですか?」

「藁人形は呪詛なのだけど。まあ基本は一緒よ」

「神仏、つまり神様ね。これは各民族ごとに様々な神仏がいるわ、まあ一部には神仏のいない民族もいるみたいだけど」

「そしてこれら神仏には祈りと共に様々な願いが捧げられるの」

「平和、豊作、無病息災から、縁結び、子孫繁栄、不能の呪い、呪殺、等々。個人的な物から民族的、国家的なもの。あるいはその土地ならではの願い等、様々ね」

「そして神仏に限らず霊的存在と言うのは基本的に自分に縁の強いものがその人自身に影響しやすいのよ」

「地縁、血縁、民族、職業、性別。まあそんなところね」

「菫さんはこのあたりの生まれよね?」

「そっそうです」

「そう……ではこれを持って、この町にある縁結びの神社へ行きなさい」

 そう言って一個の木片を菫に渡した。

 絵馬。美しい馬の絵。綺麗な木目を持つ土台に美しい光沢の絵の具で馬が描かれている。まるでちょっとした芸術品のようだ。

「それが貴女の願いを確実に届けてくれる。そう神様の乗り物ね、私の特製の呪物よ」

「菫ちゃんは良い娘だからきっと一個くらいなら、神様も願いを聞いてくれるわ」

 そう言って有名な魔女はウィンクした。


§§§


 勇人は自室でゴロリと寝返りをうった。

 時刻は午後8時、バイトから帰り、軽く夕食を済ませた後だ。

(菫さん……可愛かったな……う〜んなんだろうな? 菫さんのことが気になってしまう)

 タッチパネル式のネットワークオーディオを操作して、好きな有名人のブログを見たり、気になる作家の新作情報など調べながら、勇人はネットサーフィンをしていた。

 菫の姿と、あの甘い香りが思い起こされて、胸がモヤモヤとする。

 以前から菫のことは好きではあった。でも最近の好きはちょっと違う。何がどう違うのか胸のモヤモヤの中を探りながら考える。

 勇人はもともと、現在人気のアイドルグループにいるような若くてちょっと派手っぽい、元気のある娘が好きだった。菫の様な女性とはタイプが違う。

 でも今はどうだろう? 正直もとある好きだったタイプとやらは、少しずつ菫を構成するパーツ達に置き換わっていた。

 好きになるってこんな感じかな? ふとそう思う。好みの女性を好きになるのではなく。目の前にいる女性の魅力を一つ一つ発見していき、いつの間にか好きになっているものじゃないのだろうか?

 そういえば背の高いモデルの様な女性の絵を描く画家も、性の低い女性を奥さんにもらったとたんに。背の低い女性の絵を描き始めることがあるそうだ。それと同じような物か?

「でもこのモヤモヤはなんだろ?」

「う〜ん……う〜ん……可愛い? 萌える? ちょっと違うな」

 確かに最近、菫は可愛くなった。以前より打ち解けて話せている気がするし。彼女自身が元気に満ち溢れて輝いているように見える。しかしそのことだけでは胸のモヤモヤの正体にピタッとこない。

 このモヤモヤは胸の中にある。だが菫を思うとこのモヤモヤが生まれることから、彼女に関連する何かの思いであることは間違えない。その思いを的確に表す単語が見つからない。

「好き……とも違うんだよな」

 ――しばらく考え込み――ふと浮かんだ単語に胸がドキリとした。

(あった! ぴったりの言葉……でも……いや! やっぱりそうだ)

「欲しい……だよな」

 口に出して呟いてみる。欲しい。やっぱりそれがしっくりくる。

 あの熟れた柔肉を徹底的に舐りたおして。あの大人びて澄ました顔を快感の淵へ叩き落として鼻水と涙でべちゃべちゃにしてやりたい。

 そう思っただけで、獣の様な欲望がググッとわいてくる。

(でもちょっと待て……俺ってそんなこと考える奴だったか? しかも菫さんを相手に)

 しかし明確な名前を与えられた。胸の欲望はむくむくと妄想と言う形に紡ぎあげられていく。

「いやっ! やっぱだめだ! そんなこと考えちゃ」

 次々と像を結ぶ卑猥な妄想を、頭を振って跳ね除け。ネットサーフィンを再開しようとする。

「…………」

 指先が軽快に動き、タッチパネルを操作していく。勇人は無心になってM市のデートコースを調べていた。

(とりあえず……誘ってみよう。当たって砕けろだ!)



 二礼二拍手一礼。勇人がデートコースを調べ始めたちょうどその時。菫は参拝を終えたところだった。


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