エピローグ 魔女の隠れ家



 淡い照明が照らす、博物館のような店内。

 その片隅のカフェエリアで一組の男女が語りあっていた。一人は女、天想寺玲愛、そしてもう一人はスーツをパリッと着こなした中年の男性であった。

――菫達の初行為の少し後。四月某日。魔女の隠れ家。

「これが……例の物だね。素晴らしい! めまいがするほどすごい魔力を感じる」

 男は試験管を小さくしたような小瓶を手に取り、中を見つめて驚嘆(きょうたん)した。

 一見、中には液体が満たされているだけの様に見える。

「ええ……神が使命を持たせて遣わせた聖人ほどではないですが、その(らん)からは優れた魔力を持った人間が生まれますわ」

「ふむ……恋なすで受胎した不妊女の卵か……」

 そう。その小瓶の中には菫の受精卵が入っていた。

「そう……男なら、夢を解き明かす賢者になり、女ならその美貌と魔力で敵を滅ぼし権力を手中に収める美女になるわ」

「ふむ……人を導く天の預言者や神子と同種の人間かね」

「ええ」

「問題はその魔力の程度だが……これほどの力を感じさせる卵だが……実際のほどはどうなんだね?」

 玲愛はうっすらと笑みを浮かべて答えた。

「男女どちらも権力を入手しそのものが属するコミニティーの者を救済する存在。つまり一種の救世主なのですが。先ほど言った通り、神と呼ばれる意思の根源、アダムカドモンの先の存在が遣わした”本物”と比べると魔力は落ちます」

「簡単に言いますとね」

 玲愛は一呼吸置いた。

「本物は民族……と言うより国家を救済する力を持ちますが、この卵から生まれる子供たちは一組織、ないしはある一族を救済するレベルです」

「ふむ……本物とやらは大したものだな、しかし天の神子達は人類を救済するものと思ってたよ」

「人類はいまだ一度も救済されたことはありませんわ」

「それもそうか、ならばこの卵から生まれる者がある一族しか救済しないのも道理ということだね」

「そうですわね……ただし……この卵でもその一族に数百年の繁栄はもたらすでしょうね」

「なるほどね……まさに約束通りの品と言うわけか」

 ドンッと質量ある物体がカウンターに置かれる。

「約束の報酬だ。数えてみてくれ」

 男がカウンターに置いたのは、分厚い札束であった。片手で持ちきれないほどの厚み。それが男の持つバッグから次々と取り出される。

 玲愛はそれをちらりと一瞥しただけで、手に取り、何事もなかったようにカウンターの中へ仕舞い込んだ。

「毎度ありがとうございます。これからも魔女の隠れ家をどうぞごひいきに」

「ふふっ……心にもないことを」

「しかし今回も見事な手際だったが……よかったのかい?」

「なにがですの?」

「例の女の子……菫ちゃんだっけ? お気に入りだったんだろう?」

「そうよ……可愛くて。とっても良い子……笑ってる顔も泣いてる顔もとっても綺麗なのよ」

「記憶を消してしまったんだよね? たしか」

「ええ」

「君の事ならお気に入りの女の子は手元に置くものだと思ってたよ。欲しいものは何でも手に入れるんだろ?」

「そうねぇ……できれば欲しかったんだけど。あの娘、他から手を加えられないと子供を持てない不妊女なのだけど、一度母になってしまうと母性がすごいのよ」

「ふむ……つまり子供を取り上げた人間には決して懐かないと?」

「そうよ。あの娘自体もいくつかの魔力を女の第六感って形で持っているから、隠し通すことも難しいしね」

「魔人や聖人の母になる素質のある娘だから、事、自分の旦那と子供については恐ろしいほどの感の良さを見せるでしょうね」、

「ふむ。なるほどね」

「ええ。良い娘なのよ」

 男は魔女の出してくれた。香りの強い蒸留酒を呷った。

 男は逡巡する。この魔女とは長い付き合いだ。もう20年以上の付き合いになる。

 出会ったのは50半ばの自分がまだ30の頃だ、ベンチャー企業を立ち上げ、そしてあっさり失敗し、借金漬けになって自殺さえ考えた、どん底の時だった。

 偶然迷い込んだ占い処でこの魔女に出会った。あっけにとられた。魔女は貴方に必要な物だと一枚の紙切れを渡した。数字が書かれた紙切れだ。

 宝くじの当選番号だった。

 そのお金を元手に事業を立ち直らせた男は、その後も度々魔女の助力を得て、今ではお金に関してはなんら不自由のない身分となっていた。

 今では魔女の考えていたことの意味は分かる。要は魔女は現金などには興味はないが、それでも入用になることはある。男はその時お金を用立てるいわば財布のような存在なのだ。

 まあ、魔女のゆずってくれる魔法具はいつも男の求める最高の神秘だった。魔女は隠されたあらゆる金脈について師事してくれ、気が向けば極上の女、選りすぐりの処女を与えてくれた。

 つまり男と女は持ちつ持たれつの関係ともいえた。

 彼女の顔をじっと見つめる。

 不思議な女性だ。出会ってから20年まったく年を取っていない。

 天想寺玲愛と言う名前も本名ではなく、むしろ名前と言うより。各地にある魔女の隠れ家と呼ばれる場所。所謂、魔術師の工房を取り仕切る代表者のことで、つまりは役職の様なものなのだそうだ。

 魔女の本名は誰も知らない。

 その時、カランとカウンターの中のベルが鳴る。

 誰かが結界を切って侵入してきたのだ。あるいは魔女が招いたのか。

「あらっ……どうやらお客様が来たみたい」

「そのようだね。では私はそろそろ失礼しよう。この卵は大事に使わせてもらうよ」

 男は小瓶を掲げる。愛人の一人にでも着床させるのだろう。

「ええ。またいらしてね」

 魔女はそれを理解した上で、笑顔で男を見送る。

 男は軽く手を上げてから、裏口をくぐって出て行った。

 入れ替わりに若い女の子が入ってきた。キョロキョロと店内を見回しては、驚いたり興味深げに店内の物品をながめたりしている。

 新しい客だ。菫とは対照的な派手な外見の明るそうな女の子だ。なにかスポーツをやっていそうな健康的な体つきをした若い娘。

 彼女は親切された新しいコーナーの棚に近づいて興味深げにそれを見た。

 ヨーガと内丹功などの気功や体操を扱ったコーナーだ。以前あった媚薬コーナーは奇麗に撤去されていた。

 玲愛はゆっくりと彼女に近づく。

「こんにちは御嬢さん……よろしかったらご案内いたしましょうか?」

 魔女の眼が光る。少女はそれをぼうっと見つめていた。
 
 神秘の提供と代償の回収、それが魔女の仕事だった。

 彼女の正体は誰も知らない。



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